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東京高等裁判所 昭和44年(う)62号 判決 1969年5月02日

主文

原判決中懲役三年六月処した部分を破棄する。

被告人を懲役三年に処する。

原審における未決勾留日数中九〇日を右本刑に算入する。

押収してある菜切庖丁一丁(浦和地方裁判所昭和四三年押第一四一号の一)は被害者吉野賢三に還付する。<後略>

理由

本件控訴の趣意は、弁護人石田武臣及び被告人本人各作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであるから(但し、弁護人は、第一回公判において、被告人の控訴の趣意は、準強盗に関する事実の誤認及び全事実に対する量刑の不当を主張するものである旨釈明した。)、これらを引用し、これに対し、当裁判所は次のとおり判断する。

一弁護人の控訴趣意一の第一点ないし第三点及び被告人の控訴趣意中事実誤認の主張について。

各論旨は、原判示二の事実について、(一)被告人は原判示のような脅迫行為をしていない。即ち、被告人は、ひたすら逃げ廻り、原判示道路上では前方に人垣ができ逃走は不可能に思われたので立ち止つたところ、塚本国男、渡辺暿一らから竹棒や鉄パイプなどで殴打、負傷させられたので、近くの牛乳箱を取つて防いだため手にしていた菜切庖丁を落し、その際初めて庖丁を持つていることに気付き、それを拾つて近くにいた男の人に渡したものであり、被告人には脅迫の意思も脅迫行為もないのである。仮りに、被告人が塚本らに対し庖丁を突きつけているとしても、塚本、渡辺は竹棒、鉄パイプを持ち、三、四メートル離れたところから被告人を殴打し、かつ、白昼多勢の者が被告人を取り囲んでいたのであるから、その際庖丁を突きつけたということは、事後強盗罪を構成すべき脅迫、即ち、客観的に相手方の反抗を抑圧するに足りる程の脅迫に立ち至つていないのである。従つて、脅迫の事実、しかも事後強盗罪を構成すべき脅迫の事実を認定した原判決には事実の誤認がある。また、(二)被告人の窃盗の行為は未遂であり、菜切庖丁を手にしたのも追跡者を脅す目的だけでしたことであり、不法領得の意思はなかつたのであるから、それは窃盗に当らず、結局被告人の行為は刑法第二三八条の罪の未遂をもつて論ずべきものである。従つて、庖丁一丁の窃盗の事実を認め、ひいて事後強盗既遂の事実を認定した原判決には事実の誤認がある。しかして、以上の誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れないというのである。

よつて、記録を調査して考察すると、原判示二の事後強盗の事実は挙示の関係証拠によつて優に肯認することができる。即ち、<中略>被告人は、原判示日時、原判示吉野賢三方に空巣に入り、座敷で金品を物色中、屋外の人声で近隣の者らに発見されたことに気付き、裏庭に逃げ出したところ人の姿が目に入つたので、あわてて勝手場に戻つたうえ、尋常の方法では逃げきることは難しいので、追手を脅しながら逃げる外はないと考え、目についた菜切庖丁を右手に取り、同人方の表側から東隣の藤原方の屋根伝いに逃げ出したところ、後を追つて来た原判示塚本国男に追いつめられたので、右の庖丁を突きつけ寸時の間睨み合つたが、押されたはずみで北隣の須藤方の庭に飛び降り、折柄同人方前道路上で被告人を待ち伏せしていた渡辺暿一が被告人の庖丁を手にしているのを認め逃げ出したので、その後を追いかけるような状態で自らも右道路を左方に向け、二、三〇メートル逃走し、原判示鈴木一方前路上まで来たこと、然るに同所の前方には多数の人がいて逃げられそうにもなかつたので、立ち止つて振り返ると塚本らが追い迫つて来ていたので、捕らえられまいとして同人らに対し前記の庖丁を突き出し、近寄れば切りつけるような格好に身構えて脅迫し、そのためにひるんだ塚本が少し後退し、道端の竹棒を拾つて被告人の庖丁を持つた右手を叩いたので、被告人も近くに積んであつた牛乳箱の一つを取って投げつけたが、後方からも渡辺に鉄パイプで右手を叩かれ、なお多数の人に取り囲まれるに至つたので、逃走をあきらめ近くにいた年配の男に庖丁を渡し、塚本らに逮捕され、間もなく駈けつけた警察官に引き渡されたことが明らかである。所論は菜切庖丁の先が円いこと、庖丁を進んで手放したことなどを挙げ、庖丁を突きつけて脅迫するというようなことはあり得ないというが、それらはいずれも前認定の庖丁を突きつけて脅迫した事実を否定する理由とするに足りない。然して、被告人の塚本に対する右の脅迫行為は、その際における前記の状況を考慮するとき、通常逮捕者の逮捕遂行の意思を制圧するに足りるものであつて、刑法第二三八条にいわゆる脅迫に該当するものというべきである。所論は菜切庖丁の窃盗について不法領得の意思を争い窃盗罪の成立を否定するが、判例(最高裁判所昭和二六年七月一三日第二小法廷判決、集第五巻第八号一四三七頁)によると、窃盗罪の成立に必要な不法領得の意思とは、権利者を排除し他人の物を自己の所有物と同様にその経済的用法に従いこれを利用し又は処分する意思をいい、永久的にその物の経済的利益を保持する意思であることを必要としないところ、本件において、被告人は、前記のとおり、他人方において窃盗の目的で金品を物色中、近隣の者に発見され、尋常の方法では逃げきれないと思い、他人方の菜切庖丁を用い追手を脅迫しながら逃げようと考え、従つて右の目的で使用したうえはその場に捨て去る意思で、それを取つて逃げ出し、隣家の屋根を伝い道路に出て二、三〇ーメトル逃走し、右の庖丁で追手を脅迫したが、結局逮捕されたというのであるから、菜切庖丁については窃盗罪の成立に必要な不法領得の意思が認められ、窃盗罪は成立するというべきである(前掲判例参照)。してみると、被告人は、菜切庖丁一丁を窃取したうえ、前記脅迫行為に及んだのであるから、被告人の所為は刑法第二三八条に規定する事後強盗罪の既遂に該当するのである。所論はまた原判示にそう塚本国男及び渡辺暿一の前記供述調書の信憑性を争うが、被告人も捜査当時及び原審第一回公判においてはいずれも本件事後強盗の事実を自白しているのであつて、それらの供述内容には疑いを容れるべきふしはなく、却つてこれに反する被告人の原審第三回及び当審公判における供述は措信できない。それ故、事後強盗既遂の事実を認定した原判決には所論のような事実誤認のかどはない。各論旨は理由がない。

<その余の判決理由は省略>

(松本勝夫 石渡吉夫 藤野英一)

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